各地の相談先

和解成立件数2021年9月21日現在
提訴数
33323
和解数
29071

原告団からのメッセージ〜提訴を考えている方へ〜

清本太一さん 写真

清本太一さん(全国B型肝炎訴訟北海道原告団 共同代表)

18歳の頃に通っていたデザイン関係の専門学校に献血バスが来ていたので、何気ない気持ちで献血をしました。
学生ながらに、多少は社会の役に立てただろうと自分を誇らしく思いました。
でも、三ヶ月後に赤十字の血液センターから、一通のハガキが来て「僕がB型肝炎に感染していること」、「献血は二度と行わないようにすること」が記されていました。
「僕がB型肝炎?」初めて聞く言葉ではありませんでしたが、知識は全くなく、何気なく持つイメージとしては、ただ最悪でした。
当時はひとり暮らしで、絶望にも近い気持ちを誰にも相談できないまま、「B型肝炎」という、不穏な言葉を胸に抱えていました。
自暴自棄になったところで仕方もないので、少し調べてみると「発症し重篤化するのは、2割程度」などと言うこともわかり、僕自身は、不安はあったものの、自分は発症しない8割に入っているだろうと高を括ることにしました。痛みや倦怠感などがでることはなく、検査や治療、通院などは、20代後半になるまでは全く経験しませんでした。
20代後半にさしかかると、仕事も順調で、自分ではとても健康に感じていました。B型肝炎の事もほとんど気にしなくなっていました。
しかし、この頃に受けた健康診断で、肝硬変まで症状が悪化していることがわかったのです。
肝臓は沈黙の臓器と言われるように、診断を受けたときも、自覚症状は全くありませんでした。
この訴訟に参加した理由は、B型肝炎だと医療保険に入れないので、その保険代わりになるような補償が欲しいと思ったからです。

僕の友人や職場の方など周りには、B型肝炎だという方もいなかったので、かなり特殊な病気だと思っており、B型肝炎のことを誰かに相談するようなことはありませんでした。
裁判の事も、B型肝炎の事もよくわからなかったのですが、提訴後に原告団活動に参加してみると、当然周りにはB型肝炎の方しかおらず、当たり前のように、最新治療の事や、生活面の事など相談というよりも、雑談のように話すことができ、今まで誰にも言えずに不安に感じていたことが、小さな悩みへと昇華されて、B型肝炎と自然体で向き合えるようにもなりました。
自分自身は、2011年3月の基本合意の後、2012年に和解しましたが、その後も原告団の一員として、札幌市との肝炎検査の啓発活動など、色々な活動に参加し続けています。
このサイトをみて、提訴を考えていらっしゃる方もいらっしゃると思います。提訴をするということに躊躇する不安な気持ちは、よく分かりますが、まずはお気軽に弁護団にお電話してみてください。

松田 実さん 写真

松田 実さん(全国B型肝炎訴訟九州原告団 代表)

私が原告団活動を始めるきっかけは、何気なくテレビを見ていたとき当時全国原告団代表の谷口三枝子さんが街宣カーで一生懸命訴えられている姿、誰にもわかる言葉で心の底から訴える姿勢に共感を覚えたことでした。医師には母子感染と言われていましたが、もしかしたら自分も注射器の回し打ちが原因ではないかと九州弁護団に相談したのが2010年のことでした。
2011年6月28日に国との間で基本合意が結ばれ、これから多くのB型肝炎被害者が救われていくと期待しましたが、国の書類審査が遅々として進まず、和解成立まで1年半もかかりました。
当初は2か月に1回の福岡地裁の裁判傍聴に参加するくらいでしたが裁判後他の原告の方と交流ができることが楽しみで参加していました。
九州でも弁護団による提訴説明会や医療講演会、肝炎デ―の街頭活動が行なわれていましたが、私のB型肝炎の知識レベルでは話についていくのがやっとのことでした。
ちょうど体力の衰退により仕事もリタイヤした時期でもあり、社会との付き合いが少なくなる中、原告団役員や会合に集まる原告の皆さんとお互いに気遣い元気をもらえる場は大切な場となりました。
私も世話人といわれる役員の皆さんと一緒に2013年に始まった自治体議会意見書採択のお願いや「オレンジフラッグ議員署名活動・肝炎サポート九州シンポジウム」、2017年「肝炎サポート国民大集会」など肝炎医療制度の拡充やB型肝炎被害者の全員救済のための活動など必死になって議員や政党、団体にお願いして回った活動は大変なものがありました。
一人で1県すべての議会請願を取り付けた世話人や奥さんの人脈を駆使して成し遂げる世話人の皆さんを見て、助け合い支えあう仲間に出会えたことは何にもまして一生の財産となっています。
いまでは肝がん・重度肝硬変治療研究促進事業による助成の適用拡大をはじめ、20年除斥で対象外とされている問題の解決を目指した最高裁判決、B型肝炎の正しい知識や偏見差別を中学生に学んでもらう副読本作成や教科書掲載の実現、医療に従事する看護師や大学生向けの患者講義の実施など困難な環境を乗り越えて活動の幅が広がってきたことは大きな成果だと考えます。
これからも被害者の全員救済、将来も肝炎患者が安心して暮らせる社会が実現するまでさらに活動を続けるためには、「B型肝炎被害者が孤立することなく、安心して相談できる場所としての九州原告団・弁護団」、「誰でもが理解できる言葉で情報発信できる九州原告団・弁護団」を目指したいと思います。
原告団に加わったのが63歳、すでに肝硬変肝がんに耐えて10年、衰え行く体力を支えてくれる一番の良薬が原告団活動なのだと信じています。
ここには同じ境遇の仲間がいます。提訴にためらわれていらっしゃる方は気楽にご相談ください。

横山功一さん 写真

横山功一さん(全国B型肝炎訴訟大阪原告団)

全国弁護団・原告団が国から謝罪を受け、基本合意を締結した2011年6月28日。
私にとってこの日は肝性脳症の症状で殆ど記憶も無く、急性増悪から劇症化した病状は肝移植一歩手前という、苦しみの絶頂の日でした。もう二度と思い出したくない日が弁護団・原告団・多くの肝炎患者にとっての記念すべき大きな前進の日と重なる事に、運命的なものを感じています。
入院時に自分の感染原因に疑問を持ち、退院後、訴訟に参加しました。当初は感染原因を知りたい、母への誤解を解きたい、国から謝罪と賠償を受けたい、この一心でした。私の目標は国との和解でした。
それが、活動に参加するなかで、肝炎患者を取り巻く偏見・差別の存在、私自身もそれに苦しんできた事にあらためて気づきました。
私の子供、またその世代の方々には正しい認識を持って貰い、同じ過ちを繰り返さない、偏見・差別のない社会で生きて欲しい。
肝炎患者のみならず、弱者・少数者を思いやる社会になって欲しい。
この思いから、和解後も教育啓発活動を中心に原告団活動を続け、今に至っています。教育啓発活動の中心に患者講義があります。これは各種学校に出向き、弁護士がB型肝炎の知識と広がった背景を伝え、その後原告が病気を通じた体験と思いを直接学生、生徒に語る活動です。当事者の声を直接聞く事のインパクトは大きく、単なる知識が患者・原告への共感へと変わる姿が一人一人の学生の表情から分かります。
学生・生徒は、私たちの未来そのものです。次世代を担う世代の方々に私たちの被害、思いを知って頂き共感を持って頂く事は、B型肝炎患者が生きやすい社会の実現に直結します。これらの活動は、B型肝炎患者とその家族のみならず全ての肝炎患者・社会的少数者への思いやりの心にも繋がります。やさしい社会の実現活動でもあるのです。
この意義の大きな活動は、感染被害を受けた私たちだからこそ出来る活動です。一人でも多くの方に仲間に加わって頂きたいと思っています。

私はこれらの活動を通じ、弁護士はじめたくさんの原告、教育機関の方々、自治体の方々、政治に関わる方々、そして未来ある多くの学生・生徒の皆さんと出会う事が出来ました。同時に自身の被害と向き合い、前向きに考えられる様になりました。これらは大きな財産です。また、私と同様な姿勢になれた患者・原告を数多く見てきました。

私たち原告団唯一の共通点は、感染被害(大きな不運・マイナス)を受けたという事です。原告団活動は、不運だった自分を受け入れて前向きになれる活動。マイナスをプラスに変える力のある活動だと、今私は実感しています。